朝のガンガーをボートで行く

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早朝5時半に起きて、ガンガーをボート見学。南と違い、北インドの朝はけっこう寒い。バックパッカーの間では有名な日本語堪能バダルさんが案内してくれた。


バダルはカースト制のことを説明してくれた。

カースト制度といえば、インドの階級差別のことだと思っていたが、実際は少し違うようだった。階級というか、役割みたいなものだろうか?「会社に社長、部長、経理、総務とかあるでしょ。そんな感じ」とバダルが言っていた。

カーストという言葉はポルトガル語の「カスト(血統)」が語源。16世紀にポルトガル人がインドに来たときに、名付けた呼び方。インド古来のヒンドゥー語での呼び方は「ヴァルナ」と言う。

カースト(ヴァルナ)は大きく4つに分かれる。(不可触民も入れると5つ)

バラモン(司祭など宗教的な支配階級)
クシャトリヤ(政治的、軍事的な支配階級)
●ヴァイシャ(農業、牧畜、手工業などの生産業)
シュードラ(かつては奴隷階級。今はヴァイシャと同様に生産業など)

その下にダリットという不可触民の層がある。

カーストは、さらに細かい役割(ジャーティと呼ばれる)に分類され、ジャーティの数は数千になるそう。

一番下は、ダリットの中のドームと呼ばれるジャーティで、火葬場で働く人を指す。その次が掃除をする人で、その次が洗濯をする人だと、パダルが教えてくれた。

カーストは身分であって、シュードラに生まれても努力とお金次第では、医者や弁護士になり、お金持ちになれるらしい。でも裕福になってもシュードラというカーストは変わらない。

ヨガの哲学の授業でスワミジが、「カーストというのは差別ではなく、本来はインドの伝統的な習慣。社会が上手く機能するように、各人に与えられた役割のこと。イギリス植民の時に、イギリス人がインドを近代化する際、カースト制度を差別として利用し、歪んだ形にしてしまった」と言っていたのを思い出した。インド独立の父ガンジーも「本来のカースト制度は、相互協力による有機的な社会の原理」と言っていたそう。

「インド人はカーストを悪いものだと思っているのか?」と聞いたら、「思っている人もいるけど、半分の人は思っていない」と言っていた。

そんな話を聞いていたら、ガンガーの対岸に着いた。対岸はなにもない。砂浜みたい。

近くに貧しい村があり、その住民が強引な詐欺をしてきたり、危険な場所なので、1人で来てはだめと言われる。強引な詐欺とは、握手を求めてきて、交わしたら、そのままマッサージされ、最後にお金を請求されるとか、馬を連れてきて触らせて、最後にお金を請求されるとか。わたしが対岸にいる間にも何人か来たけど、バダルが追い払ってくれた。

対岸から見るガンガーとガードは、エキゾチック極まり、映画のセットみたいだった。でもそれは即席の映画のセットではなく、何千年かけて作られてきた人の営みや定めや生死がぎっしり詰まってる。

インドは不思議な場所。ガンガーに祈りを捧げ神聖な川という割には、ゴミだらけだし、火葬の儀式も丁寧に時間をかけて行うのに、その脇で犬が燃え残った遺体を食べているのを放置するし、火葬場のすぐ横では子供たちが凧上げをして遊んでいたりする。ベースの価値観というか道徳が、日本と全く異質のもので、本当に不思議な感覚になった。